先祖を祀る

お仏壇をもつにあたって

東光院萩の寺住職 村山廣甫

買う時期に決まりはない

一般的にはお仏壇は、お盆やお彼岸、葬式、法事とか、人生の大きな区切り(結婚、分家など)を機縁として安置される場合が多いようです。何でもないときに、お仏増を購入したり、うるう年にお仏壇をもとめたりすると、不幸などが起きるといわれたりしますが、これは迷信でそんなことはありません。生命(いのち)の故郷(ふるさと)であるお仏増を家庭にお迎えしようと思いたったとき、従来のエゴに満ちた生活から、「仏さまを拝む生活」の転機が訪れるわけで、人とって何ものにも代えがたい尊い一瞬です。

仏さまから見れば、買おうと思いたったときこそ最良の日、「日々是好日(にちにちこれこうにち)」です。迷信にまどわされず、思いたったときにお仏壇を調え、心を込めてお給仕させていただきましょう。

お仏壇はお寺の須弥壇と同じ

わが国ではお仏壇が個人の家にまつられるようになったのは、天武天皇一四年(六八六年)のこととされています。『日本書紀』巻第二十九に詔(みことのり)として、「諸国に、家毎に、仏舎を作りて、乃ち仏像及び経を置きて礼拝供養せよ」とあります。つまり、お仏壇は本来、ご仏像と経典をおまつりする厨子(ずし)だったわけです。

お仏壇はお寺の延長だともいわれています。お寺の中心である本堂には、それぞれのご本尊が須弥壇(しゅみだん)にまつられています。その須弥壇の名は、仏教の世界観でいう、世界の中心にそびえ立つ想像山「須弥山(しゅみせん)」からきているのです。須弥山の頂上には帝釈天(たいしゃくてん)、中腹には四天王の神々が住み、ふもとは四大州といって、日月がここをめぐり、人間が住んでいるとされています。お仏壇の扉の中には、中央の奥の最上段に宮殿(くうでん)があり、そこにご本尊を安置して、須弥壇がつくられています。

お寺の本堂にあるお花、供物、灯明、これらのすべてが小型化されたものが、お仏壇なのです。お仏壇内部の、小型化されて配置されたお飾りの様式を、「荘厳(しょうごん)づくり」といい、これを無視したデザインのお仏壇はありません。

どこに置いたらよいか

お仏壇は家の中にある小さなお寺です。どこに置いてもよいというわけではありません。一家の聖城として、家族の誰もがいつでもお参りできて、そのことで生活にメリハリが付き、しかもすがすがしい気分を保てる静かで清浄な所が望ましいといえます。風通しが悪く湿気の多い所や暗い所、またガラクタといっしょであったり、直射日光の当たる所などは避けるべきでしょう。

お仏壇を置くような神聖な場所のことを、仏教では「結界(けっかい)」といいます。大阪の商家で帳場を囲う格子戸の内は、帳面を預かる番頭や、主人しか入れない結界です。神田明神下の銭形平次親分は神棚の下にどっかりと座りますが、あれも結界です。捕り物に出かけるときは、必ず手を打って出かけます。それは日常生活の中でさまぎまなけじめを付ける手段でもあったでしょう。お仏壇を置くことは、そこに家の中の結界を決めることでもあるのです。

また、仏間(ぶつま)がつくってある場合などは別として、お仏壇の向きについても考えておく必要があります。一般的に南向き、東向きがよいとされています。お仏壇を南に向けると私たちは北に向かってお参りすることになります。これはお釈迦さまの臨終の際に、北方ヒマラヤの麓(ふもと)の故郷を拝しておやすみになられた北枕の故事などから、北は神聖な尊い方角であると信じられてきたことに由来します。わが国でも、中世のころに院(上皇)の御所を警備する丘士のことを北面の武士と呼んだりしています。実際、お仏壇を南に向けることは、明るい方に向かうことになり、自然の採光もよい、お参りに最良の環境をつくることになります。

お仏壇を東に向けると私たちは西に向かってお参りすることになります。その彼方には仏教の理想とする西方浄土(さいほうじょうど)すなわち極楽世界(ごくらくせかい)があるわけです。夕陽が海の彼方に落ちていくさまを、昔の人たちは、好んで拝したといいます。大阪四天王寺の西門や、小野浄土寺の東向き阿弥陀三尊像などはこの考え方に基づいています。お寺の本堂は、南向きか東向きに建てられているのが一般的です。お仏壇が家の中の小さなお寺であるかぎり、やはりできるだけこの方角を踏まえておまつりをするのがよいでしょう。

しかし、家の構造、住宅の状態により、この方角に置くことのできないやむを得ない場合は、この方角のもつ意味を知った上で、こだわらないほうがよいでしょう。また、「方違(ほうちが)いのおふだ」を受けるのも一法です。仏教では十方、どの方角にも仏さまはおられますし、要は方角よりも家の中に聖域を生み出し、結界をつくることが大切なのです。

昔、おまつりをするのに余りにも高く、ご先祖が登れないとされた三尺の高さ制限は迷信です。三尺以上の高さの所にもおまつりします。タンスの上などをきれいにしておまつりしたり、洋間ではイスに座ってお参りできる場所でもよいのです。ただ、おリンを鳴らすのにあまり高い場所であったり、テレビやステレオの上など震動したり音の出る場所はふさわしくありません。また、向かいに鏡台を置いたり神棚をおまつりするのも適さないでしょう。神聖な礼拝の場所に背中を向けて静止することは、やはり失礼だからです。

どうお飾りするか

お仏壇をお飾りすることを、荘厳(しょうごん)するといいます。「信は荘厳より始まる」という言葉があるように、仏さまに出会うには、このようなおまつりの仕方が必要であるとの長い経験の積み重ねによって、荘厳のルールが決められてきました。面倒がらず温故知新(おんこちしん)(古きを訪ねて新しきを知る)、信仰における先輩たちのあとかたに習って、まず忠実に始めることです。よく、心でお析りすれば、形にとらわれる心要はないという人がいます。ご本尊やご先祖を敬い、まごころを込めて至心にお祈りするとき、その気持ちは自然に形にあらわれるはずですし、より自分自身の心の故郷にふさわしいお飾りの仕方を生み出すことになるのです。

荘厳には、お供えする供物(くもつ)とそのための仏具が必要です。最も基本となるのはお香(こう)、お花とお灯明(とうみょう)のお供えです。さらに、お仏飯(ぶっぱん)にお水を加えて「五供(ごく)」と称しています。五供がお供えの基本です。

●お香
お線香でも抹香でもよく、中央部の香炉(こうろ)に焚きます

「仏は香食身(こうじきしん)なり」という言葉の示すとおり、お香を焚(た)く、またはお線香を立てたり燃やすのは、仏さまは善き人のかおりをいただかれるので、このお香のかおりに自分の祈りの心を託し、仏さまのもとにお届けすることを意味します。葬儀の際に、お供えする香奠(こうでん)も香をすすめるという意味で理解できます。曹洞宗の大本山総持寺の禅師さまのことを紫雲台猊下(しうんたいげいか)と称しますが、紫雲とはかぐわしいお香の煙のような雲を指す言葉です。

さらに、お香のかおりは、お香を手にする人の心身を清浄にして、邪念を払います。敬虔に心をおごそかにして仏さまに近付かせていただくわけです。したがって、お香を薫ずることは、持戒(じかい)・精進(しょうじん)行のあらわれといわれています。

なお、浄土真宗では、燃香(ねんこう)といい、土香炉に線香を適宜折って、一、二本を横に火のついている方を左にして灰の上に置いてお供えする独特の作法があります。

●お花
供花(きょうか)の表は礼拝者の方に。新しい生気のあるものを、ご本尊に向かって左側に、花瓶にいけてお供えします。もっとも、花瓶が二つのときは左右にお灯明の外側にお供えします。

つい最近までは、仏さまへの供花は、各家それぞれにお花を育てて、その最も美しい時節、四季折々にお仏壇へお供えしたものです。お寺の大法要などで、お坊さまが紙の花びらをまかれることがあります。これは散華(さんげ)といって、その場を清めるとともに、仏さまをお供養する儀式です。美しいお花は、人の心をなごませ、清浄な気持ちにします。お花のような美しい心で、み仏のお徳を讃嘆(さんたん)し、また、その美しさからお浄土の風光を仰がせていただくことが大切です。

このように仏さまにお花をお供えすることは、仏さまの荘厳であると同時に、捧げた者が、仏さまから、お荘厳をいただくことです。仏さまに美しいお花を差し上げようという、その心はそのまま仏さまの心として、差し上げる者に働きかけるのです。これを回向遍照(えこうへんじょう)といいます。

お花がお参りする人の方に向けられているのはそのためです。ですからどんなに美しくても、トゲのある樹の花や臭い花、辛くにがい花、木槿(むくげ)の花やバラなどは避けるようにと、昔から伝えられています。

なるべく美しく、新しく生気あるものをお供えするようにしましょう。もちろん花瓶の水を入れ替えて、しぼんだ花や枯れた花にならないように心がけましょう。仏さまを常に念じ、お供養する心があるなら、しぼんだ花をそのままにしておくはずがありません。いつもすがすがしい気持ちで拝めるようにしましょう。お花はあなたの心を映しているのです。

ところで、お寺のご本尊さまの前に飾られている金色の蓮華(れんげ)は、「常花(じょうか)」、あるいは、「金木華(きんもっか)」といい、つぼみと花と実がすべて備わって、過去、現在、未来の三世(さんぜ)の相(すがた)をあらわしているとともに、経文にあるところの金色に輝く浄土をあらわしています。この蓮華の花組みは「立花(りっか)」と呼ばれ、室町時代からの華道の形式になり、中心に立つ花は「しん」と呼ばれて、仏、神の宿る場を意味するようになりました。

仏教における供花の第一は、蓮華であるとされています。蓮華の花は開いているとき(因)に、すでに花の中に実を結んでいる棄(果)ことから、凡夫も仏性を具えているということを象徴している花として尊重されているのです。寒いからといって京都北山の杉はその場を逃げ出したりはしません。お花は自然の変化によく耐えるところから、お花を供えるのは忍辱(にんにく)行をあらわすものであるともいわれます。

また、樒(しきみ)は、インドから中国に伝えられ、さらに、奈良時代に鑑真和上(がんじんわじょう)が経巻や他の文物類とともにわが国に持ってきたと伝えられるもので、これはインドの無熱池(むねっち)にある青蓮華(しょうれんげ)にその葉の形が似ているそうです。

また、この樒のにおいとその実の毒性は、大切なものを外敵から護る働きがあると考えられ、葬儀においてなくてはならない魔除けの「緑切り花」となりました。

●お灯明(とうみょう)
お灯明は仏さまの知恵。ご本尊に向かって香炉の右側にお供えします。二本の場合は香炉をはさんで左右に、お花の内側にお供えします。

暗闇(くらやみ)の中にともるお灯明は、闇をなくし、まわりのものを照らして姿をはっきり映し出して、不安におののく人の心に安堵感をもたらすところから、お灯明は仏さまの慈悲と知恵を象徴するものとされています。

有名な「貧者の一灯」の話が思い起こされます。貧しい老婆がお釈迦さまのお説法を聞こうと、自分の髪を切って一椀の油を供えます。王さまたちの捧げた幾百のお灯明の中に混じって老婆の心ばかりのお灯明も小さくゆらめいていました。突如一陣の風が吹き荒れてことごとく会場のお灯明は消えてしまいましたが、ただ一つ老婆のお灯明だけは消え去るどころか、燃え続け、ますますその輝きを増してあたりを照らし続けていきました。このようにい、お灯明をあげることは、仏さまのお説法に対するお供養でもあるのです。

比叡山延暦寺の根本中堂には、信長の焼打ちにも消えることのなかった不滅の法灯が、今なお、あかあかとともっています。

お仏壇にお供えしたお灯明のロウソクは、自分の身を燃やしながらあたりを照らし続けています。他人の力をあてにすることなく、自分を完全に燃焼させ、輝いて他を明るく照らしています。それは、暗闇にいる人にとっては、どんなにか心の安らぎを与えてくれることでしょう。

いつでもお灯明をともせるよう、常に、ロウソクは燭台に立てておきましょう。「油断大敵」の格言はここからきているのです。お灯明の光の輝きは、このように“み仏(如来)の光明”にもたとえられ、これをお供えすることは知恵(ちえ)行の実践であるといわれています。

●お仏飯(ぶっぱん)
お初を盛る

禅家(禅風のある家)では、食事をいただくときに、「五観の偈(げ)」をお唱えします。いつでも仏さまになることのできるこの尊い心身を養うため、感謝の心でお食事をいただくのです。空腹が満たされ、のどの渇きが潤されると、人はだれしも身心がほっとして静まります。

心が静かに安定すると、仕事も手につき、ものを考えてもまとまったよい考えが出ます。飲み物や食べ物は身心を養う力があります。その代表がご飯です。したがって、朝はご飯を炊かないパン食の家庭では、パンをお供えしてもちろん差し支えありません。このようにご飯をお仏前に供えることによつて、日々生かされていることを思うとき、感謝の念がわき起こり、「いただきます」と自然に合掌することとなるでしょう。

お仏飯は本来は別炊きにしたものを供えます。しかしそれは、現実として無理でしょうから、朝炊いたご飯のお初を供えるようにしましょう。

お仏飯は、仏飯器に盛って、またお霊膳(れいぜん)を使うときは、その器に盛ってお供えします。なお、真宗大谷派では、円筒形の筒(盛槽(もっそう)、95ページ)に白飯を詰めてつき出してつくったものを仏飯器に盛るのが正式です。

仏さまにお供えしたご飯やお茶は、お昼時(正午)までに下げるのが一般的です。インドではお坊さまの食事は正午を過ぎて食べてはいけないという戒律があります。特に夏などでは、変質したりする場合がありますので、朝のお参りが終わったら下げましょう。また、仏さまのお下(さが)りは捨ててはなりません。仏さま、ご先祖さまと同じご飯を食することにより、同じ一つの生命(いのち)のつながりを感得することになるのです。

お仏飯やお霊膳、さらに湯茶や蜜菓子(みつがし)などをお供えすることを飲食(おんじき)供養といい、禅定(ぜんじょう)(身と心の静寂)行の実践とされます。

●お水
茶湯器(ちゃとうき)を用いて、香炉の奥の中央部にお供えします。(なお、浄土真宗では、お水を供えることはありません。)

仏さまにお供えする水は、「閼伽(あか)」といって、清浄な水を指します。清浄な水を供えることによって、お参りする人が心を洗うという意味もあり、布施(ふせ)行の実践であるといわれます。本来は清浄な水を供えたいところですが、現在では水道の水でもやむを得ないでしょぅ。仏前に供えた浄水は、特別なものとして下げた後も粗末にせず、鉢植えなどに注いでやりたいものです。

五観の偈

  • 一(ひとつ)には功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り、彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
  • 二(ふたつ)には己(おの)れが徳行(とくぎょう)の全缺(ぜんけつ)を(と)忖(はか)って供(く)に応(おう)ず。
  • 三(みつ)には心(しん)を防(ふせ)ぎ過(とが)を離(はな)るることは、貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
  • 四(よつ)には将(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とするは、形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんがためなり。
  • 五(いつつ)には成道(じょうどう)のための故(ゆえ)に、いま此(こ)の食(じき)を受(う)く。
    (いただきます。)
  • 願わくは此の功徳を以って、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成せんことを。
    (ごちそうさまでした。)

お経について

仏教の聖典は、一般には「お経(きょう)」という名で知られているが、正確には「三蔵(さんぞう)」といって、三種類の聖典より成っている。三蔵とは、釈尊の説かれた教えをまとめた「経」蔵と、釈尊の定めたお互いに日常守らねばならない実践規則である「律」蔵、そして、これら二種類の聖典に対する後代の学者による注釈もしくは解説としての「論」蔵の三つを指す。したがって仏教には、キリスト教のバイブル、イスラム教のコーランといったような統一的な聖典はない。また「論」蔵のように後代の学者による注釈書や解説書までが聖典とされているところに特色がある。

釈尊の教えは、その在世中には、文字で表わされることはなく、全て口伝(くでん)で伝えられた。しかもその教えは対機説法(たいきせっぽう)であり、その人に応じ、時に応じて説かれたので、いわゆる「八方四千の法門」といわれるほど膨大なものとなった。そこで釈尊在世中は直接確かめられた教えも入滅後は教えの散佚を防ぎ、教権を確立する必要から、遺弟達による「結集(けつじゅう)」が行なわれたのである。

結集とは、口から口へと伝えられた釈尊の教えを整理するため、合誦による編集を行なうことであり、第一結集には、摩詞迦葉(マカカショウ)の下に五〇〇人の比丘(びく)が王舎城(ラージャグリハ)郊外の七葉窟に会して、優婆離(ウパーリ)によって「律」が、阿雉(アーナンダ)によって「経」が誦出され、釈尊の教えが統一された。その後数次わたる結集が行なわれ、阿育(アショカ)王の護の下での第三結集、迦色迦(カニシカ)王の下での第四結集は有名である。これら結集により、確立した仏教聖典の数はきめて多く、世に「一切経(いっさいきょう)」とか大蔵経(だいぞうきょう)」と呼ばれている。三蔵として最も古いものは、パーリ語のもので、南方仏教諸国ではこれが用いられている。

現存する三蔵としては、漢訳されたものが最も小完全かつ膨大である。洛陽の白馬寺で「四十二章経」の第一巻が、後漢の明帝の、永平一〇年(六七年)ごろに翻訳されてから、清朝の乾隆帝の七年(一七四二年)に「造像量度経解」一巻が翻訳されるまで、中国訳経の歴史は、実に一六七五年の長さに及ぶ。それも国家的規模で行なわれつづけた。玄弉のために唐の太宗が大慈恩寺内に翻経院を設けたのは、ことに有名である。現代までに出版された漢訳三蔵の中で読も完全なものとしては、日本学匠達の著作まで含めた「大正新修大蔵経」百巻がある。

経蔵の中で特に日本において有名なものは「妙法蓮華経」「阿弥陀経」「大般若経」「般若心経」などであるが、わが国では、これら釈尊の説かれた経典よりも、宗祖の書物の方が重要視されている場合が多い。釈尊の説かれた仏教の根本聖典である経蔵の漢訳聖典を、一般の人が親しみやすいように現代語へ翻訳する作業が待たれる昨今である。

合掌
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